東急池上線90周年記念無料開放

昼夜の、そして日ごとの寒暖差もいよいよ激しくなってきた(筆者主観)今日この頃、読者諸氏はいかがだろうか。私は寒さに耐えかねて掛け布団を出した翌々日から、今度はあつさ(暑さ、"掛け布団の"厚さ)に耐えかねて掛け布団を睡眠中無意識に蹴飛ばしている。季節の変わり目という事もあり、少し喉の調子も優れない。何事もなく復調すれば良いのだが......

閑話休題

先日私は「2017年10月9日、東急池上線は開業90周年を記念して路線の1日開放を行う」という情報を入手した。そんな話を聞きつけて、どうして行かずに居られようか!本来の予定ならばちゃんと1限から3限まで授業に出席したのち向かう予定であった。しかし!私は矢も盾もたまらず大学講義棟を1限終了後即脱走し、野田線常磐線を乗り継いで池上線のターミナル駅たる蒲田へと急行した。クズ大学生の誕生の瞬間である。

後輩諸氏は絶対に真似しないように。私が言っても説得力など微塵も無いが。

この最低にして最高の旅のメンバーは私1人のみではない。同じ学科の学友も1人、合計2名である。彼と私はこの旅すがら一対一のディベートに興じていたのだが、議題が多岐にわたり中々興味深く楽しいものだった。

さて、ここからが旅の本番である。端的に所感を述べるならば、「無料開放された池上線はヤバかった」のだ。

我々の旅の起点となった蒲田駅で、我々はいきなり強力な先制攻撃を食らわされた。見渡す限りの人の波!最早ダイヤも何も無い池上線!理科大は授業日だったが世間は祝日、よくよく考えれば当然の人出である。かくて我々は押し合いへし合いの混沌の只中に自ら飛び込んだのである。

車内は通勤電車も真っ青の超満員であった。アクセルやブレーキで加速度がかかる度に我々はど根性カエルとなり、1駅毎に降りる人と乗る人が他の乗客を押しのけていく。一部の駅ではきょうび珍しく押し屋が大活躍。改札は長蛇の列。これでもかという程沿線の駅近辺も大混雑であった。恐ろしい。

そんな大混雑の只中にありながらも我々は2駅途中下車した。

1駅目は「池上駅」、路線名の元となった土地である。池上本門寺があり、様々な店が軒を連ねる門前町が駅前から総門まで続いている。我々はそんな江戸情緒の微かに残る街を歩いた。

池上本門寺は1282年に創建され、以降日蓮宗大本山として戦災にも負けず今日まで脈々と歴史を紡いでいる。数々の武将の祈願寺としても有名である。

門前町を抜けると眼前には元禄年間建立の総門がそびえ立っていた。簡素ながら歴史を感じるその門をくぐると96段の此経難持坂がある。古人は昇段の苦労を信仰の苦労に見立てたのではなかろうか。きつい石段を息を切らして登りきり、朱の映える仁王門を越えたところで我々はやっと大堂に辿り着いた。戦災で灰燼に帰したのちにコンクリートで再建されたそこには3人の聖人像と未完の龍の天井画があり、綺麗に維持されている所を見ると信徒の信仰の篤さが伺える。私の家は日蓮宗ではないが、殊にその美と荘厳さにおいてのみを鑑みても感動を禁じ得ないものであった。拝観した信徒の喜びは察するに余りある。無料開放の煽りで大変混雑しており短時間しか滞在出来なかったものの、大変良いものを見る事が出来た。

2駅目は「洗足池駅」、その名が示す通り駅前に池がある。因みに洗足池の名は日蓮上人がこの池で足を洗った事に由来する。満員電車に疲れての降車であったが、まあ当然と言うべきか混んでいた。だがしかし偶然か天佑か、我々はベンチを見つけて休む事が出来たのである。そこで少しくつろいだ後に池のほとりを散策した。

洗足池のほとりにひっそりと佇む妙福寺は寛永年間創建の日蓮宗の寺院である。一度門をくぐると木々が生い茂り根元には美しく苔むす、何とも自然豊かな境内であった。神仏習合の名残だろうかお稲荷様も鎮座しており、旅の道中にふと巡り会うも何かの縁と思った我々は旅路の安全を祈念した。少し奥に向かうとそこには池に面した石畳があり、沢山の人など何処吹く風、と行った具合に足下で鯉が悠々と泳いでいた。そこでふと遠くの水面を眺めるとカップルのスワンボートが数多浮かんでおり私は思わず胸焼けを起こしたが、いつの間にかそんな妙な僻みも胸中から消え失せていた。端的に言えばどうでもよくなったのだ。私の心が洗われてきた所で我々は駅へと戻り、一路終着駅の五反田へと向かった。

五反田駅も当然大混雑であったが改札を出てしまうと存外人は少なく、私は池上線の旅の終わりを感じ少し寂しくなった。

結果として図らずも寺社巡りとなっていたがそれも悪くない。混雑は勿論のこと、沿線の魅力も池上線はヤバかったのだ。そして私は池上線の最古参と最新鋭の両方の車両に乗車できた為大変満足である。特にも最古参の編成は1964年東京オリンピック当時からのものだ。是非とも東急電鉄は2020年までこの車両を使うという粋な計らいをして欲しいものである。

五反田以降の旅程は学友とは別のものとなった。

私は都営浅草線に乗って浅草まで向かった。ふと浅草を散策してみたくなったのである。かくて私は数年ぶりの浅草観光に興じ、森見登美彦氏の小説に著名な電気ブランの元祖たる神谷バーの外観を拝み(未成年の為入店は憚られた)、路地の飲屋街を散策し、浅草寺浅草神社を参拝しておみくじで凶を引いた。複雑な心境である。そして東武浅草駅併設の百貨店の本屋で時間を潰した後、改札前の喫茶店でコーヒーを調達して特急ホームへ向かった。

20時30分に東武浅草駅を発つ特急は「スカイツリーライナー 春日部行き」である。私にとっては人生初の私鉄特急、それも最新車両のRevatyということもあり少し興奮していた。更に何と1号車偶数番A席!最高の座席を確保して私は終始ご機嫌であった。惜しむらくは徹夜が祟り少し寝てしまった事である。時とは残酷なもので、乗車時間の30分はあっという間に過ぎてしまい(寝ていたから感覚としては当然である)いつの間にか春日部駅へ。今度はこの特急で温泉にでも行きたいものだ。

春日部からは勝手知ったる東武野田線である。魔境運河までは37分。これまでの旅路からすればごく単調なものであるが、しかし車中でその旅路を振り返れば中々に趣のある最終旅程であり、日常と非日常を繋ぐ特別列車である。そしてその特別列車は定刻通りに到着し、同時にこの旅も終わりとなった。

一抹の寂寥の感を載せ、野田線は終着駅へと走り去る。駅舎を出て自転車にまたがり、夜風に吹かれればそこはもう日常である。私はそこはかとなく感じる希望を胸に抱えてペダルを漕ぎ出した。

図らずもここまで2729文字もの長文をつらつらと書き連ねてしまった訳であるが、果たして読者諸氏の何割にここまで読んで頂けたのだろうか。何か終わりが安い小説っぽいがそんな事はどうでもよい。これが自分の感じた事である。

この日本、特に関東は鉄道網が発達しており、少し足を伸ばせばそこに非日常が存在する。読者諸氏もその妙味に身を委ね、風の吹くまま気の向くままに1日旅行してみてはいかがだろうか。