名月

今日は中秋の名月。読者諸氏もきっと(晴れていれば)空を眺めることだろう。

月はなんだかんだで我々と古くから関わっている、などと蘊蓄を垂れるつもりはないが、夏目漱石の「I love youの日本語訳?そんなもん『月が綺麗ですね』とでも訳しとけ」と学生に言ったエピソードについてはその妙味に思わず心を動かされる。現代においては単なる告白の代名詞となっているが、日本語における婉曲的表現の代表的なフレーズと考えればなるほど興味深い。この辺の講釈は文系諸氏にお任せしよう。今回の主題はあくまで月の話である。

私は実は真冬の月が大好きなのである。中秋の名月は金色に輝き、ススキやとんぼに団子との相性は無論のこと、皆で見て楽しめる月と言えよう。しかし、冬の月は白銀に輝き、何者をも寄せ付けぬ高貴さがそこにある。寒さの厳しい季節、氷雪を踏みしめて寒風に耐えつつふと空を眺めるとそこに「孤高」という言葉のよく似合う月が凛としてそこにあるのだ。「愛宕の山に入り残る月を旅路の友として」というのは鉄道唱歌のフレーズであるが、受験期の私はさしづめ「奥羽の峰に入り残る月を学びの友として」といった所だろう。

更に月というと、高1で音楽部の助っ人として参加した合唱コンクールの課題曲に

「夜もすがら 独りみ山のまきの葉にくもるもすめる有明の月」

というフレーズがあった事を私に想起させる。この合唱曲「方丈記」の少し切なくなる和音の調べが、月を見る度に私に微かな寂寥の感を抱かせているのかもしれない。興味のある方はYou Tube でどうぞ。

さて、長々と語った所で私は月見団子を調達しに出かけるとしよう。読者諸氏にとって月とはどのようなものだろうか。名月を拝みながら物思いにふけるのもなかなか乙なものかもしれない。